キラキラに塗りつぶされた元風俗嬢という偶像

「物事にはすべて意味がある」
「過去は変えられないが、過去をどう考えるかは変えられる」
「そして過去を振り返るより今を大切に」
「何事も前向きに考えよう」
「怒りを手放そう」
「悲しみは忘れよう」
「あらゆる経験が今のあなたを作っている」
「だからすべてに感謝しよう」
「つらいことを乗り越えて、今のあなたがあるんだね」

 


キラキラ、
キラキラ、
輝くむなしいメッセージの数々。


虫唾がはしる。

 


今年1月、半年に一度の梅毒抗体検査の結果が出た。
数値は下がってきており、このままうまくいけばいずれ検査は必要なくなるだろうということだった。


7年かかった。


梅毒は、性風俗で働いていた頃に客から移された。
7年前、店の性病検査で梅毒感染が判明し、店から電話がかかってきた。
「とりあえず、病院行ってきて」
いつものスタッフのいつもの明るい声がそう告げ、電話は切れた。


どのように病院に行き、なんと言われ、どういう薬を処方されのか、正直憶えていない。
ただ、当分働くことはできないと知り、さらに梅毒の症状を検索して、内心倒れそうなほど動揺していた。


店に報告の電話をすると、スタッフはしばらくわたしの話をうんうんと聴いていたが、そのうちわずかに神妙な声で言った。
「大変だよね。でも、治ったらまた連絡してよ。待ってるから」


すぐには理解できなかった。
そのまま電話を切りそうな気配だったので慌てて呼び止めた。


大変だよね?
治ったらまた連絡してよ?


なにを言っているのだろう?


その困惑をうまく伝えられず、別のことを質問した。
「お客さんに確認したりしないの?」
スタッフは不思議そうに、
「なにを?」
と言った。
「わたしが接客したお客さんに、感染してるかもしれませんって、連絡しないの?」
毎月1回の性病検査。先月はなにも引っかからなかった。
わたしは仕事以外で誰とも性的接触をしないので、感染源は客以外にない。
わたしがこの1か月のうち、いつ感染したのかは分からない。
そして、わたしが客の誰かに梅毒を移した可能性は十分にあった。
「あー、しないんだよね。連絡先も分からないし」
なにを寝言を言っているのかと、本気で驚いた。
当時わたしが働いている店はデリヘルで、客はみな電話で店に問い合わせをする。電話番号がない者は店を利用できない仕組みだったし、一度かかってきた番号はみんな店に登録されていた。
「わたしに移した客が、また店に来るかもしれないのに?」
「うん…そうだね」
「わたしが誰かに移してるかもしれないのに?」
「そうだねえ…」
「女の子達には梅毒出たって言うの?」
「怖がらせるだけだから言わないね。注意喚起はするよ」


あの時、なにに驚き、なにに怒り、なにに困ればよかったのだろう。
なにをどうすればよかったのだろう。


店との電話を切ったあと、何日か悩んでから、わたしは自分の携帯電話から客達に電話をかけた。
電話番号は客と待ち合わせをする際に必要なので、毎回店からメールで送信されてくる。待ち合わせ場所についたら非通知で客にかけるのだ。
わたしはこの番号を、客との会話内容などと一緒に記録していた。
しかし、待ち合わせもなにもしていない状況で、非通知では、ほとんどの客は電話に出なかった。


わたしは悩んだ。
知ったことではないと思おうとした。
だってそうではないか。
わたしが感染したことだって、店では知ったことではないという態度だったじゃないか。
誰かが感染していたとして、それは客だ。
いい客もいたが、そうでない者ばかりだったじゃないか。
なぜわたしが?


それからわたしは店の待機所で顔を合わせる女性達を思い出した。


ネイリストを目指しているひと。
小学生になる男の子を養育しているひと。
挨拶しても無視するひと。
掲示板に悪口を書き込んでいると噂があるひと。
お酒を飲まないと出勤できないと笑っていたひと。
夜中まで仕事が入らなくて泣いていたひと。
声優になりたかったけどあきらめかけているひと。
仕事バッグにヘルプマークを提げていたひと。


彼女達。
生きていて、そこで働かざるを得ない、女性達。


わたしは、今度は番号が通知される設定で客達に電話をかけた。
そうするとたいていの者は訝しげな声で電話に出た。
「●●という店でお世話になった++です。梅毒に感染しました。移ったかもしれないから病院に行ってください。検査結果が出るまではお店を使わないでください」
客達はみな面食らったように物分かりよく、言葉少なで、そして皆一様に迷惑そうだった。


その時は、そうする以外に思いつかなかった。
客達が性病検査に行ったのか確認するすべはなかった。
携帯電話にいたずら電話がかかってくることもなかったが、だからといって何度も客達に連絡できるほどの余裕もなかった。
わたしに梅毒を感染させたのが誰だったのかも、結局分からなかった。


保健所に通報すればよかったのだろうか。
わたしには怖くてできなかった。
店に逆恨みされるかもしれない。
個人情報を悪用されるかもしれない。


それに、治ったらまた働かねばならない。


借金があり、職歴は穴だらけだった。
よそで新たに雇ってもらうには年を取りすぎていた。
どこにも行けない。
梅毒を移されてなお、性風俗以外わたしには居場所がなかった。

 


「物事にはすべて意味がある」
「過去は変えられないが、過去をどう考えるかは変えられる」
「そして過去を振り返るより今を大切に」
「何事も前向きに考えよう」
「怒りを手放そう」
「悲しみは忘れよう」
「あらゆる経験が今のあなたを作っている」
「だからすべてに感謝しよう」


「つらいことを乗り越えて、今のあなたがあるんだね」

 


誰か教えてほしい。
わたしが梅毒にかかったことに、いったいなんの意味があったのだろう。
梅毒を移された事実や、感染にいたった客との粘膜接触の意味を、どうとらえ直せというのだろう。
その経験がわたしを作っているという事実に、怒りや悲しみ抜きで、どう向き合えばいいのだろう。
店にも客にも、わたしは感謝をしなければならないのだろうか。


性風俗でのつらさを、わざわざ味わう必要のあるひとが、いるというのだろうか。

 


元風俗嬢がその経歴をあけすけにして、弁当屋で明るく朗らかに働く映画が上映されている。
若く、美しく、愛らしく、自分に恥じるところなどなにもないという風情で、元風俗嬢だと知られても平然とし、それゆえに男達からも人気があり、周囲のひと達に恋愛や人生のコツのようなものを説くらしい。


風俗嬢や娼婦と呼ばれる女性達は、飄々としていて、色っぽくて、性に奔放で、自ら望んで男に奉仕する役目を選んだとされてきた。
フィクションでも、現実でも。
そんなものは、様々な社会的利益から女を排除し、男の性交と生殖に女を縛りつけるための作り事にすぎない。
男に都合よい女こそもっとも魅力的だという使い古されたプロパガンダだ。


かの映画のトレイラーには、まったく同じ押しつけがましさが漂っている。
元風俗嬢は、いつまでも美しく、色っぽく、適度な正義感があり、無用な警戒心はなく、過去を恨むことなく、借金もなく、職務経歴の穴に絶望することもなく、周囲に笑顔と幸せを振りまく。


そうあってほしいのだろう。誰かが。


誰かが、“女の多様性と自己決定の果ての結末”は、この映画のようにあってほしいのだろう。
なにかしらのつらい過去もあるだろうけど、そんなことをいちいち気にせず、元風俗嬢だということも隠さない「ステキな元風俗嬢」という存在があると都合のいい誰か。


梅毒にかかった過去になどこだわらず、
店がまともに対応してくれなかったことなど恨みもしない、
そして、そもそも性病になんてかからない、
ステキなステキな元風俗嬢。

 


怒りや絶望や痛みを忘れられない現実の元風俗嬢を嘲笑し矮小化する、キラキラしたポジティブメッセージ。


そんな創作物も、それを映画にしてありがたがっている社会も、すべてまとめて、虫唾がはしる。