よくあること、よくいる客

ある時、
待ち合わせをした客の男が買い物をしたいと言うので、ふたりでコンビニに入った。
カゴを持たされ客の後ろをついて歩く。
店内は涼しく、わたしはなにか自分の飲み物も買おうかと考えていた。
レジから死角になる店の奥に来た時、不意に客がわたしの背後に回り込み、スカートの中に手を突っ込んできた。そのまま下着の中に指をねじ込もうとする。
驚いて飛び退こうとすると、腕を掴まれて阻まれる。
「いいから、いいから」
そう囁く男の声は笑っている。
不快さで声を荒げそうになる。
同時に、こんなところを誰かに見られたらどうしようと戦慄した。
カゴを男と自分の間に入れて、掴まれた腕を振り解く。
信じられない思いで男を見ると、まだ笑っていた。
「興奮したでしょ?」
酒の棚がそばにあった。
わたしはウイスキーの瓶で男の脳天を叩き割る想像をする。

 


ある時、
ラブホテルのエレベーターに客の男とふたりで乗った。
扉が閉まった途端、男はわたしの胸を鷲掴んでスカートの中に手を突っ込んだ。
「もうこんなになってる」
男はうわ言のように囁きかけてくる。
わたしは驚き、またかとうんざりし、驚いたことやうんざりしていることはおくびにも出さずに、やんわりとその手を退けようとする。
こんなに、というのは一体どういう状態だろう。
興奮した男の生臭い息が顔にかかり、思わず顔を背けた。覆いかぶさってくる男の重さを支えようとしたパンプスのかかとがぐらつく。
エレベーターでこうした行動をとる客はたくさんいた。
男達は自分が興奮しているのだから、わたしも興奮していてほしいらしかった。
部屋に入るまでの時間も待ち遠しく、エレベーターの中で男女ふたりもつれ合うという妄想に付き合ってほしいようだ。
それら漫画やドラマやAVの模倣なのだろう。
当然だが、わたしは“こんなに”なんてなっていないし、なんの前振りもなく突然始まる男達の芝居めいた息遣いや言葉遣いは、いつだって失笑モノだった。
彼らの盲目的なナルシストぶりが不思議で、他人を巻き込んで己の妄想を具現化するために行動できる恥じらいのなさと自信のありようは、いつも心底滑稽で不気味で、そして危険だった。
いずれにせよ、これはポルノの再現なのだ。
男達は、本来の人間関係ならば絶対に必要なあらゆるコミュニケーションや合意のやりとりといった労力を、金によってスキップし「もう“こんなに”なってる」という決めゼリフとセックスのシーンだけを演じたがっていた。
ポルノごっこのために他者を侵害する権利を、男達は金で買うのだ。
わたしはこれから、そんな滑稽で不快な男優気取りの相手をしなくてはならない。
少なくとも消毒用ボディーソープで洗う前の汚い指を突っ込まれるのは避けたかった。
わたしは男の手を、あくまでもやんわり退ける。

 


ある時、
指定されたホテルの部屋の前でわたしは立ち尽くす。
目の前には、作業服の前を開け裸の腹と下半身を晒した客の男が立ち塞がっている。
男は、今ここでドアを開けたままフェラチオをしろと迫った。誰かが通りがかる前に早く、と。
わたしは慎重に言葉を選んで断ろうとする。
(シャワーを浴びてからね。)
(タイマーをスタートさせてからね。)
(部屋でふたりっきりになってからね。)
(誰かに見られるのは困っちゃうから。)
(ここだとホテルのご迷惑になっちゃうから。)
断りながら、狭い玄関に入ってドアを閉めようとする。男に近寄りたくなどないのに。
本当なら、大きな音を立ててドアを閉め、その場を立ち去りたいくらいなのに。
わたしには、それをする自由が認められている。
不快な行為を拒否する“自由”。
危険だと思ったら自力で逃げる“自由”。
けれども、それを行使した結果は、すべて自己責任として受け止めさせられるのだ。実際にそれをした後の評価や給料は保障されておらず、なにより、危険だと思った時に逃げ場が絶対にあるとも限らなかった。
そしてわたしには金が必要で、ドアの前で不潔なままのフェラチオを強要されたぐらいで逃げ出すわけにはいかなかった。
性的接触を拒否しながらも、性的接触をするために近寄る。
それは風俗嬢に即尺させようとドアの前で待ち構える男の言動よりも合理性がなく、整合性が取れない意味不明な行動だ。
わたしは気分が悪い。
逃げ出したいほど不快なのに笑顔を取り繕わなければならない自分の立場。
男の見苦しく出っ張った腹や体毛の有様や漂ってくる体臭。
巨大なテレビで垂れ流されているAVの音声。
便器に顔を突っ込むような危険で不潔なすべてを、ほとんど無条件で受け容れざるを得ない状況。
それでもわたしは逃げ出すわけにはいかない。
「シャワー浴びてから、ゆっくりイチャイチャしましょう?」
わたしは客を宥めるための常套句を吐きながら、早くもえずきそうになっている。

 

立派なお仕事「セックスワーク」で、よく起こっていること。

普通のお仕事である「セックスワーク」に、日常的にやってくる客達。

お金に困った女性のセーフティーネットである「セックスワーク」の日常風景。

金で女を買い叩く男達が透明化したいことの、ほんの一部。