よくあること、よくいる客

ある時、
待ち合わせをした客の男が買い物をしたいと言うので、ふたりでコンビニに入った。
カゴを持たされ客の後ろをついて歩く。
店内は涼しく、わたしはなにか自分の飲み物も買おうかと考えていた。
レジから死角になる店の奥に来た時、不意に客がわたしの背後に回り込み、スカートの中に手を突っ込んできた。そのまま下着の中に指をねじ込もうとする。
驚いて飛び退こうとすると、腕を掴まれて阻まれる。
「いいから、いいから」
そう囁く男の声は笑っている。
不快さで声を荒げそうになる。
同時に、こんなところを誰かに見られたらどうしようと戦慄した。
カゴを男と自分の間に入れて、掴まれた腕を振り解く。
信じられない思いで男を見ると、まだ笑っていた。
「興奮したでしょ?」
酒の棚がそばにあった。
わたしはウイスキーの瓶で男の脳天を叩き割る想像をする。

 


ある時、
ラブホテルのエレベーターに客の男とふたりで乗った。
扉が閉まった途端、男はわたしの胸を鷲掴んでスカートの中に手を突っ込んだ。
「もうこんなになってる」
男はうわ言のように囁きかけてくる。
わたしは驚き、またかとうんざりし、驚いたことやうんざりしていることはおくびにも出さずに、やんわりとその手を退けようとする。
こんなに、というのは一体どういう状態だろう。
興奮した男の生臭い息が顔にかかり、思わず顔を背けた。覆いかぶさってくる男の重さを支えようとしたパンプスのかかとがぐらつく。
エレベーターでこうした行動をとる客はたくさんいた。
男達は自分が興奮しているのだから、わたしも興奮していてほしいらしかった。
部屋に入るまでの時間も待ち遠しく、エレベーターの中で男女ふたりもつれ合うという妄想に付き合ってほしいようだ。
それら漫画やドラマやAVの模倣なのだろう。
当然だが、わたしは“こんなに”なんてなっていないし、なんの前振りもなく突然始まる男達の芝居めいた息遣いや言葉遣いは、いつだって失笑モノだった。
彼らの盲目的なナルシストぶりが不思議で、他人を巻き込んで己の妄想を具現化するために行動できる恥じらいのなさと自信のありようは、いつも心底滑稽で不気味で、そして危険だった。
いずれにせよ、これはポルノの再現なのだ。
男達は、本来の人間関係ならば絶対に必要なあらゆるコミュニケーションや合意のやりとりといった労力を、金によってスキップし「もう“こんなに”なってる」という決めゼリフとセックスのシーンだけを演じたがっていた。
ポルノごっこのために他者を侵害する権利を、男達は金で買うのだ。
わたしはこれから、そんな滑稽で不快な男優気取りの相手をしなくてはならない。
少なくとも消毒用ボディーソープで洗う前の汚い指を突っ込まれるのは避けたかった。
わたしは男の手を、あくまでもやんわり退ける。

 


ある時、
指定されたホテルの部屋の前でわたしは立ち尽くす。
目の前には、作業服の前を開け裸の腹と下半身を晒した客の男が立ち塞がっている。
男は、今ここでドアを開けたままフェラチオをしろと迫った。誰かが通りがかる前に早く、と。
わたしは慎重に言葉を選んで断ろうとする。
(シャワーを浴びてからね。)
(タイマーをスタートさせてからね。)
(部屋でふたりっきりになってからね。)
(誰かに見られるのは困っちゃうから。)
(ここだとホテルのご迷惑になっちゃうから。)
断りながら、狭い玄関に入ってドアを閉めようとする。男に近寄りたくなどないのに。
本当なら、大きな音を立ててドアを閉め、その場を立ち去りたいくらいなのに。
わたしには、それをする自由が認められている。
不快な行為を拒否する“自由”。
危険だと思ったら自力で逃げる“自由”。
けれども、それを行使した結果は、すべて自己責任として受け止めさせられるのだ。実際にそれをした後の評価や給料は保障されておらず、なにより、危険だと思った時に逃げ場が絶対にあるとも限らなかった。
そしてわたしには金が必要で、ドアの前で不潔なままのフェラチオを強要されたぐらいで逃げ出すわけにはいかなかった。
性的接触を拒否しながらも、性的接触をするために近寄る。
それは風俗嬢に即尺させようとドアの前で待ち構える男の言動よりも合理性がなく、整合性が取れない意味不明な行動だ。
わたしは気分が悪い。
逃げ出したいほど不快なのに笑顔を取り繕わなければならない自分の立場。
男の見苦しく出っ張った腹や体毛の有様や漂ってくる体臭。
巨大なテレビで垂れ流されているAVの音声。
便器に顔を突っ込むような危険で不潔なすべてを、ほとんど無条件で受け容れざるを得ない状況。
それでもわたしは逃げ出すわけにはいかない。
「シャワー浴びてから、ゆっくりイチャイチャしましょう?」
わたしは客を宥めるための常套句を吐きながら、早くもえずきそうになっている。

 

立派なお仕事「セックスワーク」で、よく起こっていること。

普通のお仕事である「セックスワーク」に、日常的にやってくる客達。

お金に困った女性のセーフティーネットである「セックスワーク」の日常風景。

金で女を買い叩く男達が透明化したいことの、ほんの一部。

キラキラに塗りつぶされた元風俗嬢という偶像

「物事にはすべて意味がある」
「過去は変えられないが、過去をどう考えるかは変えられる」
「そして過去を振り返るより今を大切に」
「何事も前向きに考えよう」
「怒りを手放そう」
「悲しみは忘れよう」
「あらゆる経験が今のあなたを作っている」
「だからすべてに感謝しよう」
「つらいことを乗り越えて、今のあなたがあるんだね」

 


キラキラ、
キラキラ、
輝くむなしいメッセージの数々。


虫唾がはしる。

 


今年1月、半年に一度の梅毒抗体検査の結果が出た。
数値は下がってきており、このままうまくいけばいずれ検査は必要なくなるだろうということだった。


7年かかった。


梅毒は、性風俗で働いていた頃に客から移された。
7年前、店の性病検査で梅毒感染が判明し、店から電話がかかってきた。
「とりあえず、病院行ってきて」
いつものスタッフのいつもの明るい声がそう告げ、電話は切れた。


どのように病院に行き、なんと言われ、どういう薬を処方されのか、正直憶えていない。
ただ、当分働くことはできないと知り、さらに梅毒の症状を検索して、内心倒れそうなほど動揺していた。


店に報告の電話をすると、スタッフはしばらくわたしの話をうんうんと聴いていたが、そのうちわずかに神妙な声で言った。
「大変だよね。でも、治ったらまた連絡してよ。待ってるから」


すぐには理解できなかった。
そのまま電話を切りそうな気配だったので慌てて呼び止めた。


大変だよね?
治ったらまた連絡してよ?


なにを言っているのだろう?


その困惑をうまく伝えられず、別のことを質問した。
「お客さんに確認したりしないの?」
スタッフは不思議そうに、
「なにを?」
と言った。
「わたしが接客したお客さんに、感染してるかもしれませんって、連絡しないの?」
毎月1回の性病検査。先月はなにも引っかからなかった。
わたしは仕事以外で誰とも性的接触をしないので、感染源は客以外にない。
わたしがこの1か月のうち、いつ感染したのかは分からない。
そして、わたしが客の誰かに梅毒を移した可能性は十分にあった。
「あー、しないんだよね。連絡先も分からないし」
なにを寝言を言っているのかと、本気で驚いた。
当時わたしが働いている店はデリヘルで、客はみな電話で店に問い合わせをする。電話番号がない者は店を利用できない仕組みだったし、一度かかってきた番号はみんな店に登録されていた。
「わたしに移した客が、また店に来るかもしれないのに?」
「うん…そうだね」
「わたしが誰かに移してるかもしれないのに?」
「そうだねえ…」
「女の子達には梅毒出たって言うの?」
「怖がらせるだけだから言わないね。注意喚起はするよ」


あの時、なにに驚き、なにに怒り、なにに困ればよかったのだろう。
なにをどうすればよかったのだろう。


店との電話を切ったあと、何日か悩んでから、わたしは自分の携帯電話から客達に電話をかけた。
電話番号は客と待ち合わせをする際に必要なので、毎回店からメールで送信されてくる。待ち合わせ場所についたら非通知で客にかけるのだ。
わたしはこの番号を、客との会話内容などと一緒に記録していた。
しかし、待ち合わせもなにもしていない状況で、非通知では、ほとんどの客は電話に出なかった。


わたしは悩んだ。
知ったことではないと思おうとした。
だってそうではないか。
わたしが感染したことだって、店では知ったことではないという態度だったじゃないか。
誰かが感染していたとして、それは客だ。
いい客もいたが、そうでない者ばかりだったじゃないか。
なぜわたしが?


それからわたしは店の待機所で顔を合わせる女性達を思い出した。


ネイリストを目指しているひと。
小学生になる男の子を養育しているひと。
挨拶しても無視するひと。
掲示板に悪口を書き込んでいると噂があるひと。
お酒を飲まないと出勤できないと笑っていたひと。
夜中まで仕事が入らなくて泣いていたひと。
声優になりたかったけどあきらめかけているひと。
仕事バッグにヘルプマークを提げていたひと。


彼女達。
生きていて、そこで働かざるを得ない、女性達。


わたしは、今度は番号が通知される設定で客達に電話をかけた。
そうするとたいていの者は訝しげな声で電話に出た。
「●●という店でお世話になった++です。梅毒に感染しました。移ったかもしれないから病院に行ってください。検査結果が出るまではお店を使わないでください」
客達はみな面食らったように物分かりよく、言葉少なで、そして皆一様に迷惑そうだった。


その時は、そうする以外に思いつかなかった。
客達が性病検査に行ったのか確認するすべはなかった。
携帯電話にいたずら電話がかかってくることもなかったが、だからといって何度も客達に連絡できるほどの余裕もなかった。
わたしに梅毒を感染させたのが誰だったのかも、結局分からなかった。


保健所に通報すればよかったのだろうか。
わたしには怖くてできなかった。
店に逆恨みされるかもしれない。
個人情報を悪用されるかもしれない。


それに、治ったらまた働かねばならない。


借金があり、職歴は穴だらけだった。
よそで新たに雇ってもらうには年を取りすぎていた。
どこにも行けない。
梅毒を移されてなお、性風俗以外わたしには居場所がなかった。

 


「物事にはすべて意味がある」
「過去は変えられないが、過去をどう考えるかは変えられる」
「そして過去を振り返るより今を大切に」
「何事も前向きに考えよう」
「怒りを手放そう」
「悲しみは忘れよう」
「あらゆる経験が今のあなたを作っている」
「だからすべてに感謝しよう」


「つらいことを乗り越えて、今のあなたがあるんだね」

 


誰か教えてほしい。
わたしが梅毒にかかったことに、いったいなんの意味があったのだろう。
梅毒を移された事実や、感染にいたった客との粘膜接触の意味を、どうとらえ直せというのだろう。
その経験がわたしを作っているという事実に、怒りや悲しみ抜きで、どう向き合えばいいのだろう。
店にも客にも、わたしは感謝をしなければならないのだろうか。


性風俗でのつらさを、わざわざ味わう必要のあるひとが、いるというのだろうか。

 


元風俗嬢がその経歴をあけすけにして、弁当屋で明るく朗らかに働く映画が上映されている。
若く、美しく、愛らしく、自分に恥じるところなどなにもないという風情で、元風俗嬢だと知られても平然とし、それゆえに男達からも人気があり、周囲のひと達に恋愛や人生のコツのようなものを説くらしい。


風俗嬢や娼婦と呼ばれる女性達は、飄々としていて、色っぽくて、性に奔放で、自ら望んで男に奉仕する役目を選んだとされてきた。
フィクションでも、現実でも。
そんなものは、様々な社会的利益から女を排除し、男の性交と生殖に女を縛りつけるための作り事にすぎない。
男に都合よい女こそもっとも魅力的だという使い古されたプロパガンダだ。


かの映画のトレイラーには、まったく同じ押しつけがましさが漂っている。
元風俗嬢は、いつまでも美しく、色っぽく、適度な正義感があり、無用な警戒心はなく、過去を恨むことなく、借金もなく、職務経歴の穴に絶望することもなく、周囲に笑顔と幸せを振りまく。


そうあってほしいのだろう。誰かが。


誰かが、“女の多様性と自己決定の果ての結末”は、この映画のようにあってほしいのだろう。
なにかしらのつらい過去もあるだろうけど、そんなことをいちいち気にせず、元風俗嬢だということも隠さない「ステキな元風俗嬢」という存在があると都合のいい誰か。


梅毒にかかった過去になどこだわらず、
店がまともに対応してくれなかったことなど恨みもしない、
そして、そもそも性病になんてかからない、
ステキなステキな元風俗嬢。

 


怒りや絶望や痛みを忘れられない現実の元風俗嬢を嘲笑し矮小化する、キラキラしたポジティブメッセージ。


そんな創作物も、それを映画にしてありがたがっている社会も、すべてまとめて、虫唾がはしる。

瓦礫の上で生きる

遭難したまま生きて、破壊された瓦礫の上におぼつかない手つきで建てた不安定な家に住んでいる。
瓦礫になったとはいえ、それは自分の人生に違いないので、撤去することもできない。いつか掘り起こそうと思いながら、見るのも悲しいから手を出せなかった。

性売買のただ中にいた頃は気づかなかったけど、あの頃わたしの自尊心は売り物だった。自分の尊厳や自尊心を差し出して踏みつけさせることこそが仕事だった。尊厳は傷つき汚れ、時間の経過とともに実際的な社会的信用は失墜し、これくらい平気だと自分に言い聞かせながら擦り切れた陰部を洗い、後ろめたさによる沈黙を受け入れていた。
自分を大切にするというのは、自尊心を保つというのは、長らく私にとって贅沢なことだった。

生活保護に繋がって少しした頃、わたしは焦っていた。

早く資格を取って、早く就活して、これまでできなかった社会貢献をして、早く、早く。ヒトサマのお金で生き延びてるんだから。早く。

誰かの世話になるというのが怖かったし、世話になるからには模範的であるべきだと思っていた。役に立つモノであるべきだと思った。見知らぬ男にフェラチオをしないで生活費を得られるんだから、それくらいの意識でいなきゃいけないと思っていた。

ある時、焦ってほとんどパニックになっていたわたしに婦人相談員さんが「少なくとも2〜3年かけて自分の人生を取り戻してください。就労や社会復帰は今じゃなくても大丈夫です」と言ってくれた。その時は、その場に崩れ落ちるくらい安心した。

やりたくないことやできないことを、早くやれと急かされないことが、どれだけわたしを救ってくれただろう。

安心したわたしは、まずは言われた通り、ゆっくりしてみることにした。

わたしは、部屋は物が少なくて風通しがいいのが好きだ。
わたしは、料理を毎日はしたくないが、自分で作ったものを食べるのが好きだ。
わたしは、のんびり時間をかけて小説を読むのが好きだ。

わたしは、好きな映画をくり返しくり返し観るのが好きだ。
わたしは、ひととワイワイするのと同じだけ、ひとりでボーッとするのが好きだ。
わたしは、ある程度毎日のルーチンが決まった生活が好きだ。
わたしは、
わたしは、

それらは、少しずつ時間をかけて瓦礫から発掘できたものだった。尊厳のカケラ、自尊心のよすがだった。
焦って自分をないがしろにしていたわたしを落ち着かせてくれたひとがいたから、そのひとがわたしの話を丁寧に聞いてくれたから、わたしはわたしの人生の瓦礫を見つめ直して、そこに埋もれていた大事なものを掘り出すことができた。
それらは実に些細で、私的で、いっそつまらないと言えるようなものかもしれない。
でもある時、件の相談員さんが何気なく言ったのだ。
「柊さんは、マメですね」
すごく驚いた。わたしは自分をマメだと思ったことなんか一度もなかった。
そうか。わたし、マメに暮らしたかったんだ。
それは輝かしい発見だった。自分が本当はどうしたいのか、どう生きたいのかを、まず"ひとつ"取り戻した瞬間だった。

それからほんの数日前、久しぶりに20年来の友人に近況を報告した。
友人はわたしの色んな状況を聞いたうえで、
「柊さんが本当にやりたいことをしたらいいと思う。あなたが楽しめて、あなたが何より力を尽くせるというものを見つけるといい。それがあなたにとっても社会にとっても一番幸せなことだと思う。今はそれを探してもいい時期なんだから」
そう言ってくれた。

生活保護を受給するようになって1年半が経つ。
今でも、健康で体力もあって好きなことを楽しめる自分が受給に甘んじていていいのかと、考えることがある。
でもわたしはこの点において、自分を急かしたがる自分ではなく、わたしの話を丁寧に聞いてくれた婦人相談員さんや友人を信頼している。
わたしを赦してくれるひとを信じることにしたのだ。
彼女達は、自尊心は贅沢品などではないとわたしに教えてくれる。

色んなひとの励ましと赦しが、わたしを生かしてくれている。
瓦礫の上の不安定な家に今も暮らしながら、遭難したままの心許ない人生をこの先も生きると思う。
性売買を経験した当事者としての記憶は消えることなくあるし、性売買を許容する社会もすぐに変わることはないだろう。それらへの怒りも憎しみも変わらない。
自分にできることはとても少なく、ともすればほとんど何もないだろう。
今はそれでもいいと思う。少なくとも今は。
わたしは今日もマメに暮らす。
窓を開け、料理を作り、音楽を聴く。ソファーに寝転んで本を読んだり、たまに風呂をサボったり、アイスを食べたりする。

少なくともそうして生きている今日のところは、誰もわたしを蔑ろにしないし、傷つけない。
わたしは自尊心というものを意識する必要さえない。

取り戻した自尊心のカケラを、誰にも触れさせない場所に大切にしまっておいて、時々思い出して取り出して眺める。

その都度、誰にも触らせないでいい場所がわたしにもあったのだと、改めて嬉しく、切なくなりながら。

「子どもの頃、目にした高収入求人バニラのトラックを思い出して」働き始めた貧困女性の末路

※ 本エントリーは、2019年11月20日にデイリー新潮より配信され、同年末に削除された同タイトル記事の本文を転載したものです。記事タイトルについて、本文に関係がなく煽情的であるという指摘があることは承知していますが、デイリー新潮掲載当時のまま転載します。内容については誤字脱字以外に誤読の可能性のある箇所に若干の修正を加えています。

 

「子どもの頃、目にした高収入バニラのトラックを思い出して」働き始めた女性の末路

 10月27日未明、ツイッターを眺めているとこんな書き込みがあった。

<高収入バニラちゃんのゆるキャラが子供にうまい棒配ってるの邪悪すぎて笑てまう(原文ママ)>

 

高収入バニラがうまい棒配布、一体何が問題だったのか?

  ツイートには画像が添付されていた。1枚は、ハロウィンイベント中の池袋サンシャイン通りで、女の子を模したキャラクターの着ぐるみが立っている。もう1枚には、その着ぐるみが配布していた2本セットの「うまい棒」が写っていた。パッケージには「オリジナル うまい棒」「VANILLA 高収入求人情報バニラ」と書かれており、下部にはサイトにアクセスできるとおぼしきQRコードが印刷されている。

 もう1本は男性向けらしく「男の高収入求人情報 VANILLA メンズバニラ」と書かれている。どちらも、仮装したうまい棒キャラクターと着ぐるみキャラクターが描かれているハロウィン仕様だ。

 ツイッターを検索していくと、「子どもに配っていた」「子連れにも渡していた」と明言しているツイートは5件ほどで、その様子を明確に捉えた画像があるわけでもなく、真偽は定かではなかった。

 しかし、この着ぐるみと一緒に写真を撮っているツイートなどはいくつも見つかり、家族連れや子どもがいるイベント中のサンシャイン通りで、目を惹く着ぐるみキャラクターが菓子を配布していたのはまぎれもない事実であるようだった。

  有志がうまい棒の製造販売元である株式会社やおきんに問い合わせたところ、名入りのオリジナルうまい棒が作れるサービスを利用した製品であること、入稿された内容がコンプライアンスの精査をすり抜けて製作されてしまったことが確認された。この連絡が入ったためか、10月31日に全国各地のハロウィンイベントで実施が告知されていたバニラのオリジナルうまい棒配布は中止となった。

「バーニラ! バニラ! バーニラ! 求人! バーニラバニラで高収入!」

 繁華街でその歌を聞いたことがあるというひとは多いだろう。高収入バニラのアドトラック広告宣伝車)が流す曲だ。ド派手なピンクの車体には「お金超大好き」「もっと稼ぎたい」などと書かれており、爆音で流れる滑稽かつキャッチーな音楽はやたらと耳に残る。小さな子どもなど、つい目を奪われ、真似して歌いたくなってしまいそうである。

 そのインパクトあるビジュアルと音楽ばかりが気になって、そもそもあれがなんなのか知らない方もいるだろう。端的に説明すると「高収入バニラ」というのは、女性向けの性風俗求人サイトだ。そう、真昼間の街中を、「あなたも風俗嬢として働きませんか?」と爆音で宣伝する車が走り回っているのだ。

 アドトラックがキャッチーな音楽を垂れ流しながら往来を走り回り、路上に立ったゆるキャラが家族連れも訪れるイベントで菓子を配布する。

「あなたも風俗嬢として働きませんか?」という、うたい文句で。

 異様と断言するには十分だ。なぜこれが見逃されているのだろう?

 

条例の抜け穴を走るアドトラック

 実のところ、騒音や派手な電飾や宣伝内容など、公共空間に馴染まない広告宣伝車の存在は、以前から問題視されている。

 東京都では2011年に屋外広告物条例を改正し、走行車両が掲示する広告についても対策を打ち出してきたが、これは東京都ナンバーの車両にしか効力がないものだった。そのため他県ナンバーのアドトラックが都内を走行することを防げず、問題は野放しとなっている。

 路上での物品の配布に関しては、警察による道路使用許可書があれば、露骨なわいせつ描写や反社会的な内容のもの以外は、誰でも配布が可能だ。

 ハロウィンで配布されたうまい棒アドトラックに掲載された文言について、東京都迷惑防止条例を参照してみても、そこに明確な条例違反を見出すことはできなかった。

 つまり条例に照らすなら、デザインや文言をうまく隠して宣伝する限り、街角で「あなたも風俗嬢として働きませんか?」と、うまい棒を配布することも、アドトラックを走らせることも、なんの問題もないわけである。

 

奇妙で面白いという「価値」

 広告プラットフォーム事業を展開するベライゾンメディア・ジャパン(元Oath Japan)は、米Oathが2018年に実施した「ブランド愛着度指数調査」の日本国内での結果を発表している。

 ブランド愛着度を形成する6要因には「トレンドの創出」と「カスタマーエクスペリエンスの向上」という項目がある。定義はそれぞれこうだ。<製品やサービスに関するイノベーションのみならず、次にブランドが何をするか、何を新たに生み出すかにも注目させる><生活者とあらゆるコミュニケーションを、クリエイティブかつインパクトあるものにする>

 結果からいえば、18~34歳までの若年層は、この2項が他の4つを大きく上回っていた。面白い何かをしでかしてくれそうな、相互コミュニケーションのとれるブランド、もしくはサービス、あるいは製品に対して、若年層は強い愛着を持つ。

 バニラのアドトラックの存在は強烈だ。ひとたびあの音楽が流れてきたら、そんなつもりはなくとも、ついそちらに注目してしまう。都心の繁華街を走り回るそれを、「ヘンだけど面白いもの」として認識する者は確実にいる。

 現に、SNSで調べてみると、「バニラのトラック発見!」「バニ子(着ぐるみにもなっていたバニラの広告に描かれているキャラクター)と遭遇!」「バニ子可愛い」「バニ子と写真撮った~」などの書き込みを見つけることができる。

「ヘンだけど面白い」ものを面白がる心性は誰にでもあり、それ自体は問題ではない。しかし面白いからという理由で、それが抱える問題を考えられなくなるのは深刻な問題だ。

 多くの若者は自分や友人知人が性風俗店で働くとは夢にも思わず、実際に働いている女性はそのことをまず周りには打ち明けない。「性風俗で働く=エロいことをしてラクに大金が稼げる仕事」という、現実と乖離した印象だけが定着し、性風俗全般が一種の下ネタやジョークのネタとして扱われ、真面目に議論することができなくなっている。

 バニラのアドトラックや着ぐるみのゆるキャラを面白がって受け入れることは、それらが流す情報をも無批判に受け入れることになるのだ。

 

「無視するという受容」が常識を作ってしまっている

 当然だが、すべての若年層が、性風俗求人の宣伝活動を面白がっているわけでは断じてない。多くは騒がしい音楽に辟易し、ドギツい色彩に苦笑いし、その広告の内容に眉をひそめる。

 しかし、性風俗求人を宣伝するアドトラックが野放しで走り回る現状は、厳然として存在している。倫理やモラルへの無関心が蔓延している状況だ。

 道端に無数に落ちているタバコの吸い殻を無視して歩けるのは、吸い殻が落ちているという状況が当たり前だからだ。公道に吸い殻やゴミが落ちている事実は「普通のこと」として、わたしたちの日常に組み込まれている。

 同じことが起きているのだ。「お金に困った女性は風俗嬢になる道がありますよ。あなたが選べば、今日からでもそれは可能ですよ」というメッセージが昼夜問わず街に流れることは、現在の日本社会にとって、至極当たり前のことなのだ。

 それを「おかしい」と社会ぐるみで批判できないでいる間に、バニラはキャッチーな音楽とともに、ゆるキャラの着ぐるみを駆使した広告戦略を拡大し、「将来の働き手候補」である若い女性を取り込みにかかっている。

 

「風俗で働く女=汚い」「風俗で遊ぶ男=普通」

 性風俗店利用客を含む多くの男性はこう言う。

「男はみんな風俗の世話になってるから、風俗嬢を差別なんてしないよ」

「でも、どんな仕事を選ぶのも、本人の自己責任だよね」

 日本社会において様々な自己責任論が跋扈しているが、取り立てて性風俗産業に従事する女性への風当たりは厳しい。苛烈と言っても差し支えない。

 筆者も元風俗嬢であることを公言しているが、記事に対するコメントやツイートなどを見ていると、<元セックスワーカー笑><風俗嬢上がりらしい文章ですね><ヤリすぎて妄想でも見るようになったか?>などといった侮辱はいくらでも出てくる。彼らは「偉そうなこと書いてるけど、お前体売ってたじゃん」とでも言いたげだ。

 彼らのコメントは、社会全体にうっすらと、そして強固に蔓延している性風俗従事女性への差別と蔑視が収斂したものだ。<体を売っていた女の分際で、高い金を稼いでおいて、いやらしいことが平気でできるくせいに、汚い女の子くせに>そう認識し、それを表明することになんの疑問も持たないのが、現在の日本社会のスタンダードだ。

 翻って、性風俗店を利用する男性客はどうだろう? 何か少しでも非難の対象になるだろうか? 金で女を買っておいて、と、責められたりするのだろうか? 他人の体を金で買った男の分際で、と、会社で降格人事などにかけられたりするのだろうか? 不特定多数の女といらやしいことをした汚い男であることが周囲にバレて、差別的な呼び名で呼ばれたりすることが、あるのだろうか?

 当然、性風俗遊びをする男性への非難は存在する。しかし、それは性風俗産業に従事する女性へのバッシングとは比べ物にならないほど小さい。

 性風俗利用客のほとんどは、普通の男性だ。性風俗店の利用料数千円から数万円を支払えるだけの仕事をしており、一般的に問題ない社会生活を送る、普通の男性たちである。

 彼らは会社の同僚との付き合いで性風俗店を利用する。知り合いから勧められたので来店したという客もいる。妻の里帰り出産中に自宅に女性を派遣させる男性など、ひとりやふたりではない。

 そしてそういった「風俗遊び」をすることに罪の意識を感じたり、その遊びによって彼らが社会的に不利益を被ることは、まずない。

 女性が自分を売ることは罪であり、侮辱されもするのに、男性が女性を買うことは免罪される。これが差別でなくて、一体なんだというのだろう?

 

「風俗で働いているのは、女性の自己責任」?

 では性風俗産業で働くことは、本当に女性の自己責任なのだろうか?

 日本では学力よりも性別で年収が決まるという調査結果がある。高学力な女性よりも低学力の男性のほうが収入が高くなる傾向は、日本国内では珍しいことではない。女性の賃金は入社の時点から男性の86%程度に抑えられている。

 さらに非正規雇用の男女差はいまだに著しく、総務省統計局の調べによると、非正規で働く労働力の68%は女性である。正社員として給与の増加も望めず、非正規雇用で複数の仕事を掛け持ちするにも限界がある。

 生活に窮した女性が<誰でも即日勤務可能で高収入!>といった宣伝文句に救いを見出すことは自己責任だろうか?

 性風俗業界が貧困女性のセーフティーネットと呼ばれて久しいが、性感染症HIVへの感染、望まぬ妊娠、密室での暴力行為や盗撮などに晒されるといった、極めて高いリスクを負ってようやく機能するものをセーフティーネットと呼ぶこと自体が、そもそも間違っている。

 それにも関わらず、シングルマザーや、心身に困難を抱えた女性や、奨学金の返済に苦しむ女性が、時給千円程度の仕事と、効率的に稼げる性風俗店の仕事を目の前に並べられた時、後者を選んでしまうことに、社会構造の影響がまったくないと言えるだろうか?

 さらに、日本社会において、女性は幼いうちから「イイ女になりましょう」と教育されていく。それは男性に対しての「イイ女」だ。女らしく優しい言葉を使い、目上の者の言うことをよく聞き(社会において女性の目上に立つ者は、たいていの場合男性である)、可愛く装い振る舞え、と要請される。女性らしくするほうが得であると教え込まれるのだ。「イイ女」であることがもっとも強く給与に影響する職業のひとつが、性風俗だ。

”普通の仕事”では、そもそものはじめから男性の劣位に置かれ、女らしさから逸脱するなという洗脳によって、それに逆らうことさえ封じられる。それならばイイ女として生きてきた経験を活かせる仕事をしようと考えてしまうことに、それほどの不自然さはないだろう。

 男性と同じだけ稼いで自立できるのが当たり前であれば、女性は「将来が不安だから早く結婚したい」とは、決して言わないだろう。しかし現実は違っている。男性が稼いで女性が家事育児をする家庭が理想のライフプランとされる日本では、女性が機会と金銭に窮するよう、社会が整備されている。貧困に陥らないためには結婚するか、自ら起業するなどして上位数%の富裕層になるか、実家に帰って肩身の狭い思いをするしかない。

 そのどれもを選べない女性につけ込むように、性風俗求人情報が驚くほどカジュアルに存在している。街を歩く際には注意して見渡してみてほしい。建物にかかった看板や、ビル横のフリーペーパースタンド、路上で配布されるポケットティッシュ、強制的に表示されるウェブサイトの広告、そして爆音で走り回るアドトラックだ。

 女性が貧困に陥ることが前提となっている社会を是正する議論がないまま、女性が性風俗産業に参入することを肯定しようとするのは、一体誰の都合によるものだろう? もっと稼ぎたいと考える女性が、男性への性接待という選択肢を採用することを社会が黙認して、得をしているのは一体誰だ?

 警視庁の調べによると、国内の性風俗関連特殊営業店32,000近く存在する。1店舗に20人の女性が在籍しているとすれば、単純計算で64万人。総務省が公開する人口推計表に照らし合わせ、就業可能年齢を20歳から44歳に限定してみれば、27人にひとりが性風俗店で働いている計算になる。

 果たして、それだけの数の女性がそれぞれ個別の事由で自己責任的に性風俗店で働いているとすることは、本当に正しいのだろうか? くり返すが、日本社会は女性であるというだけで、機会と金銭に困窮するように設計されている。貧困女性が性風俗店で働くことによって貧困から脱却することができるとして、男性に対して性接待を行う仕事に就いてようやくそれが叶う社会というのは、その構造に欠陥がないと言えるだろうか?

 性風俗産業を、「それを選ぶことは女性の自己責任」だとしながら、「貧困女性に対するセーフティーネット」とみなし、「元セックスワーカー笑」と、その経歴を差別し、スティグマ化することが同時に存在している。これは社会の大いなる欺瞞だ。

 

法や条例が許可したものなら無条件で受け入れるべきか?

 SNSでは、広告や表現の自由に関して様々な意見が上がり、「バニラのゆるキャラからうまい棒を受け取ったりアドトラックを目にしたからといって、子どもが風俗嬢になるなんていうのは暴論だ」といった書き込みも散見された。

 たしかに、すべての子どもが将来風俗嬢になると言ったのであれば暴論だ。だが、影響を受ける子どもや若者がいないと、一体どうして言い切れるだろう?

 日常的に目にする広告や映像や風景、耳にする音楽、肌に感じる雰囲気、それら一切に影響されない人生など可能だろうか? 見た者に一切の影響を与えない広告や創作物も、またこの世に存在するだろうか?

「どんな企業だって好きに宣伝する権利がある」という意見もあった。人権搾取に繋がる産業が堂々と宣伝活動を行う権利と、女性の人権侵害を防ぐことや社会の公益を保つことは、果たしてどちらが重要視されるべきだろう?

 法令や条例というのは、すべての例外的状況に即時対応できるものではない。条例文の揚げ足を取って走る他県ナンバーのアドトラックは、そのいい証拠だ。だから物事を現行の法や条例だけで判断することなどできないと言えるだろう。

 我々は「法的にどうか」だけではなく、「倫理的にどうなのか」を同時に考えなければならない。倫理によって抜け穴を認識し、どう埋め合わせるか、その都度、現実と擦り合わせて考える必要がある。「法的に正しいんだから問題ない」と、思考停止していてはいけない。

 

 生活に困窮した女性が性風俗で働き始めるきっかけが、「子どもの頃に目にしたバニラトラックを思い出したから」だったとしたら、それは救済ではなく、洗脳による搾取構造への取り込みの成功例だと言えるだろう。

 たかが、ハロウィンイベントでゆるキャラが配っていたうまい棒、ではない。

 それをジョークとして受け入れることも含め、すべてが、日本社会が今日まで見逃し続けてきた、女性への差別と搾取の、グロテスクな結実なのだ。

 

 

 

2019年11月20日 柊佐和

初出:デイリー新潮

悪夢と記憶と、その入れ物としての体と。

暗がりの中で、誰かが胸の上に馬乗りになっている。

息苦しい。

誰か、は、男だ。

男は、父のようにも、兄のようにも、かつての客のようにも、知らない誰かのようにも、見える。

男は笑っていた。

笑いながら、興奮したサルめいた仕草で両手を叩き合わせている。

それから時々、仰向けになって動けないわたしに覆いかぶさフリをする。

ばぁっ! と、子どもを驚かすように。

それがとても怖くて、不快で、腹立たしい。

馬鹿にされているのだ。

体が動かない。

息が苦しい。

声も出ない。

胸の上に馬乗りになった男が笑って、その唾が顔に飛んでくる。

吐き気が込み上げて、腕に鳥肌が立った。

泥の中に沈んでいくようだ。

力を込めた腕が震えて、重い泥をかいて持ち上がった。

その瞬間に気が付く。

 

あ、これは夢だ。

 

もがいて振りかぶった腕が毛布を叩く、パタン、という音がして、目が覚めた。

真っ暗な部屋の中、カーテンの端が薄く白んでいる。

動悸がしていて、息が苦しい。

奥歯を強く噛みしめていて、顎と頭が痛い。

首も脚も強張っていて、足の裏で汗が冷えていた。

 

寝ぼけた手が毛布を打った音が、耳の裏によみがえる。

パタン、とも、ポソン、とも聞こえた、弱々しく、間抜けな音。

口の端に泡をためて笑っていた男の、茶化す仕草が残像のように暗がりに浮かんでくる。

ひどく惨めで、悔しく、そして悲しかった。

 

 

このまま微睡んで再び眠りに就くことは、もうできそうにない。

今日も起きて、今日も息をして、今日も止めることなく、今日の分の人生を生きなければいけない。

わたしに悪夢を見せる記憶とともに。パタン、と、毛布を打つしかできない、この非力な体で。

 

裸足のままベッドを降りると、床板の冷たさが骨まで沁みてくる。

部屋に忍び込む薄明りには、乾いた晴天の気配が混じっていた。

 

その薄明かりが晴天の気配であると、わたしはわたしの記憶によって類推する。

色の薄い空、冷たく冴えた空気、柔らかな日差しの欠片、温かい食べ物、いつかの流行歌、お気に入りのスヌードの肌触り、白い息の向こうにけぶる親しい誰かの顔、その他の、冬の、静かで穏やかな記憶。

今日も立って、今日も食事をして、今日もあきらめることなく、今日の分の人生を生きるしかない。

わたしに晴れた空を想起させる記憶とともに。その空の下に――今日もまだ、かろうじて――立つことができる、この唯一無二の体で。

 

今日もこの身を生かしてくれている静かな記憶を確かめるため、わたしはカーテンの端を掴む。

 

 

*

お人形遊びが好きな男達

「そろそろイッてほしいんだけど」

川崎駅そばのラブホテルでのことだ。ゴージャスな設えの部屋の巨大なベッドにアジの開きのように仰臥していたわたしは、自分の耳を疑った。

「え? なあに?」

ことさらに可愛らしい声を出して聞き返すと、断片的に聞き取ったらしい男が、

「ん? 気持ちいい?」

と、まるで恋人に向けるような甘ったるい声色を出した。気持ち悪かったので返事はしなかったが、最初の言葉が聞き間違いでないことは分かった。

 そろそろイッてほしいんだけど。

これは仕事だ。

わたしは片手の甲を口元にあてがい、悩ましげな鼻息を漏らして腰をくねらせてみせた。その姿はまるで男の指使いに感じ入って今にも絶頂しそうに見えたことだろう。もちろん実際には、痛みに歪む顔を隠していたのだけど。

男の指は乾いていて、指使いはばかげて直線的かつ、乱暴だった。膣に差し入れた人差し指を機械的に抜き差しし、粘膜をひっかき回し、爪が当たっていることにも無頓着だ。プレイ前に浴室でこっそり仕込んだ潤滑ゼリーはとっくに掻き出された後だった。

わたしは何度も、痛いからゆっくりねとか、優しくしてねと言った後で、もうあきらめており、いつ攻守を交代するか考え始めてようやく2分ほどが経ったばかりのタイミングだった。

 そろそろイッてほしいんだけど。

望み通り、わたしは息を荒げ、首を振り、太ももに力を込めて震わせて、絶頂したような演技をしてやった。そのまま息を喘がせていると、わたしの股座に座り込んでいた男が伸び上がってきて、真上から唇を重ねながら、

「気持ち良かった?」

と問うてくる。

これは、仕事だ。

ようやく解放された膣がヒリヒリしていた。腹の奥も痛かった。わたしは喉の奥で笑い声を転がして、うんと優しく、うんとエロく、「気持ち良かった」と答える。

男がそれを信じたかは定かでないが、唇の範囲を超えて顔を舐め回すような不快なキスの仕方で、彼の興奮が高まっているらしいことは分かった。

 そろそろイッてほしいんだけど。

なんて滑稽なんだろう。男を仰向けにさせてその上に馬乗りになりながら、わたしは考える。キスの続きを避けて、乳首や下半身を舐めておとなしくさせ、ペニスを口に含みながら、白けた気分で考える。

わたしが乾いた手で乱暴にペニスをしごき上げ、尿道を力任せに爪で抉り、カリ首の薄皮が裂けたところで、「そろそろ射精してほしいんだけど」と言ったら、この男はどんな反応をするだろう。無防備に晒されている柔らかな睾丸を握り潰して「気持ち良い?」と問いかけたら、どんな風に答えるだろう。

今すぐにそれを実行したい衝動を必死で抑える。唾液をこれでもかと分泌して、間違っても痛い思いをさせないよう、注意深くフェラチオを続行する。痛い思いはするのもさせるのも、嫌だった。

そうだ、痛いのは嫌だ。自分が痛いのも、相手に痛い思いをさせるのも。

だから男の体に触れる時はごくゆっくりと、体毛の感触をたしかめてから皮膚に手のひらをそっと置くようにしていた。爪やささくれが当たらないよう気を遣った。

フェラチオの時に唾液がたっぷり出るよう、待機中はできるだけ水をたくさん飲んでいた。

その体表を舐め回す時でさえ、舌の当たりが固いと痛いかもしれないから、力を抜くように工夫していた。

そしてそれらをしたうえで、男達の無遠慮で乱暴な指先を「もうちょっと優しくしてくれたら気持ち良いかも」などと言って受け入れる。クリトリスを舐め回される際に皮膚の薄い周辺の肌におろし金のような髭が当たることを我慢したりする。

痛いのは嫌だろうから、そして痛い思いをさせたらお金にならないから、工夫するわたしと、そんなことにはまるで無頓着な客。

これは仕事だ。わたしの仕事は痛みを耐えることだ。

頬張ったペニスを噛みちぎってやりたい衝動を堪え、わたしは男の性感を煽った。

 

無事に男が射精を遂げ、ふたりしてベッドに寝転がる。すっかり疲労し脱力したらしい男の邪魔にならない程度の頻度と声のトーンで、当たり障りのない話をする。テレビからはずっとAVが垂れ流されていた。四つん這いにさせられた女優の膣に、背後から男が指を突き入れ、ものすごい速さで動かしている。女優の苦悶の表情が見どころであるようにカメラがパンし、わたしはそれから目を逸らす。

画面に見入っていた男が不意に、

「ねえ、潮って吹いたことある?」

と言って身じろいだ。

その腕が油断していたわたしの下半身に伸びて 強い力で太ももを持ち上げ、その指がなんの準備もできていない膣の入り口に文字通り突き刺さった。

「痛い!」

無理やり侵入してくる指に引っ張られた膣口が引き攣れ、それにともなって小陰唇のヒダが裂けたようだ。鋭く強い痛みが局部に襲い掛かる。

思わず腰を引いて、男の手を払いのけていた。

「なんで? 気持ち良くないの?」

男はなぜか笑っていて、払いのけられた手で再度そこを触ろうとする。

「痛い。気持ち良くない」

「じゃあ潮は?」

じゃあ? じゃあってなんだ?

「吹かない。中をガシガシされても痛いだけだよ」

「ふーん。不感症?」

男はつまらなそうに腕を引っ込めたが、今度はわたしの乳房を鷲掴みにし、乳首をこね回しはじめた。

どこから何に何をどう答えて いいか分からなくなって、言葉に詰まる。

なぜこの男はこんなにも不満そうなのだろう。なぜ、おもちゃを取り上げられた子どものような態度をとるのだろう。

「潮吹きって、気持ち良いって聞いたけど」

臓器の開口部に指を突き立てられ、かき回されて、気持ち良いわけがない。

そんなことを、誰が言ったんだろう。さっきまで散々くり返した「優しく触って」というお願いは、一体なんだったんだろう。

男はわたしの乳首をこね潰しながら、AVに見入っている。まるでアニメに見入る幼児のようだ。

そうか。小さな子どもが、テレビで見たアニメのパンチやキックを、人形やおもちゃに向かって真似しようとするのと一緒なんだ。とっくに小さな子どもなんかではないくせに。一丁前に女を買ってその口の中に射精することはできるくせに。

その身勝手な幼稚さが、たまらなく憎かった。

「痛いからもう触らないで」

しつこく乳首を触り続ける手を外させて、ベッドの上で距離を取った。AVに夢中になっている男は、一瞬不満そうにこちらを見たが、わたしがもう愛想笑いをしていなかったので、何も言わずにテレビに戻っていった。

裂傷になったらしい局部がさっきとは比べ物にならないくらい痛かった。シャワーが沁みることは確実だ。あの痛みを思うと憂鬱なことこの上もなかった。この後の仕事はキャンセルしなければならないだろう。傷は感染症の原因になる。ひとに触らせるわけにはいかない。今日稼げるはずだった金は、みんなパァだ。

 

やっぱり、睾丸を握り潰してやればよかった。

 

* 

 

クソ客のいる生活#002

客からされて嫌な質問というのがある。

たとえば、この仕事をしている理由、住んでいる場所、小さな頃のエピソード、親との関係、彼氏の有無…多くはプライバシーに関わるもので、この仕事でなくとも答えたくないという者がほとんどであろう内容だ。

多くの同業者達はこれらの質問に対する偽の答えを用意している。客からの追求はたいていの場合執拗で、一度「教えられない」と答えた程度では引き下がらないからだ。

『そんなくだらない問答に時間を奪われて接客時間が無為に過ぎていくくらいなら、風俗嬢のわたしというキャラを先に作っておこう。本名も生まれ故郷も念入りに考え抜いたキャラクターを』

彼女達は賢明だ。そして懸命だ。時間内で料金に見合ったサービスを提供するため、目の前の客を指名客として返すため、本当の自分を守るため、必死に考え、行動する。

わたしにもキャラクター設定がある。出生地や最終学歴、血液型から趣味に至るまで、徹底的に作り上げた『風俗嬢のわたし』というキャラクターが。

それにも関わらず、決して訊かれたくも答えたくもない質問というのが、たったひとつだけあった。

 

「本名はなんていうの?」

彼らの問いかけはたいてい唐突だ。

「え~、内緒」

媚びた声色はいつも通りに、強すぎない拒否の言葉を使って答える。

ラブホテルのむやみに広いバスタブで縦に並んで入りながら――客が脚を伸ばして座り、その両脚の間に収まる形でわたしが座る――、質問者である客はわたしの胸をしつこく揉みしだいている。性感を煽っているつもりなのか、時々指で乳首を弾く動きが鬱陶しい。

「なんで? 教えてよ」

わたしはいつもここで混乱する。混乱し、嫌悪する。拒否がまるで通じないことに。相手の、自分の意志は無条件で飲まれるべきだという身勝手さに。

わたし達は源氏名という仕事のための名前を名乗っている。それ以外の名は、今この場でわたしには存在しない。

「だめ」

語彙を持ち合わせない子どもの口調で答えた。

わたしの声はまだ笑っている。またぞろ始まってしまったバカバカしいやりとりにうんざりし、乳首を押し潰してくる指使いにイライラし、客の要望で熱めに入れた湯のせいで顔に汗をかくのを気にしているが、まだ笑っていられる。

わたしの仕事はなんだろう。

わたしの仕事は客の射精の手助けをすることだ。洗浄した男の体を愛撫するだけでなく、裸になって体を触らせ、必要とあらば喘いでみせ、膣に仕込んだ潤滑ゼリーによって「あなたの指使いで濡れちゃったの」だと思い込ませる。そこまでのサービスは料金に含まれている。

背後にいる男の射精は一度遂げられており、残りの15分をどう無難に過ごすか、時短や数分の超過なくこの枠を終了させられるかが、現在のわたしの課題のはずだった。

「なんで? いいじゃん、本名くらい」

男の声に不満の色が滲み出たのを聞いて、思わず声を上げて笑ってしまった。

この男は、わたしにいつも本名を訊いてくる客達は、普段の生活でもこんな風なんだろうか? 取引先が開示できない社外秘情報や、飲食店でランチセットが売り切れになった理由について、こうしてしつこく問い質すのだろうか? いいじゃんそれくらい、と言って。

考えたことをそのまま言葉にできたらどんなにいいだろう。額から落ちた汗がつけまつげを濡らさないよう顔を傾けながら、わたしは客達がそろって「色っぽい」と褒めそやす含み笑いを続ける。早く湯舟から上がりたかった。

「ねえ、教えてよ」

客はそう言って、笑いながらわたしの乳首を抓る。痛くて不快で、思わず、

「痛いことしないで」

と言ってしまった。

笑っていた男の息遣いが変わったのを背中で感じ、思わず、しまった、と顔をしかめた。彼らの不満の限界値はひどく低く設定されており、それはいつも、彼ら自身の身勝手さゆえに簡単にその限界を突破する。

「え、なんで? そんなにおれには言いたくないの? 本名教えてなんか困ることあるの?」

しないでと懇願したばかりなのに、男は再びわたしの乳房を掬い上げて乳首をまさぐる。親指と人差し指で挟み込みグリグリと擦り潰す。ただでさえ一日中触られっぱなしの部位は薄皮が剥けたのか、湯が沁みて今にも悲鳴を上げそうに痛んだ。

その行動に意志や知性が反映されているとはとても思えない。人間らしさの欠けた一連の言動に、わたしは熱い湯に浸かりながら肩口に鳥肌を立てていた。

「痛いってば。やめて」

ただただ、気持ちが悪かった。

「なんで? 気持ちよくなっちゃった? 本名言ってくれたらもっと気持ちよくなれるよ」

痛いという言葉は、たいていの場合、彼らの頭の中では『気持ちいい』に変換されてしまう。やめてという言葉は、半分ほどの割合で『もっとして』に変換されてしまう。

彼らとまっとうな会話をしようという努力は、いつだって意味を成さない。

SF映画に出てくる宇宙人だって、もっと話は通じるだろう。

「本名なんか聞いてどうするの?」

男の手から身をよじって逃げながら、質問を返した。

「別にどうもしないよ。こうやって――」

言いながら、男がわたしの上半身に両腕を回して抱き寄せた。突然のことに対処しきれず、男の胸に後頭部がぶつかる。湯舟いっぱいにたまっている湯の中に、後ろ髪がほとんど浸かってしまう。

「こうやってイチャイチャしながら本名呼ばれたら、興奮するでしょ?」

囁きながら耳の穴に舌を差し込まれそうになって、わたしは反射的に男の腕を振り払っていた。そのままの勢いで湯舟の中に立ち上がり、素早く洗い場へと抜け出す。

「髪が濡れちゃったんで、ドライヤーするお時間いただきますね」

肩越しに振り返って見下ろすと、男が半端な笑いを張り付かせたまま、こっちを見上げている。

汗と脂の浮いたあの顔面に唾を吐いてやれたら、どれだけ胸が透くだろう。いや、唾一滴だってくれてやるものか。

「あ、どうぞ。好きにして」

拒否されたことにようやく気が付いたらしい男が、もはや隠しもしない不愉快満点のつっけんどんさで答える。わたしはもう振り返らずに洗面所に向かい、備え付けのドライヤーを手に取った。

水滴を吹き飛ばす風の音を聞きながら、客の過度な支配に屈しなかった自分を、胸の中で慰めていた。

客はわたしに興味があるわけではないのだ。源氏名で裸になる女の秘密を強引に暴いて中を弄り回し、そこに犬のようにマーキングして、征服した気になりたいだけなのだ。

偽の本名であろうが本当の本名であろうが、それを呼びながら体をまさぐられることが、わたしには耐え難い苦痛だった。その様子がたとえ無機物相手に腰を振る犬のように滑稽であったとしても。

汚らしい支配欲に屈してやることは、料金には含まれていないのだ。

すっかり濡れてしまった髪の毛はなかなか乾かない。外は猛暑だ。事務所に帰るまでに乾くといい。

犬のように滑稽で宇宙人よりも話の通じない客は、浴室で沈黙を保っている。

そのまま溺れてくれてもかまわないが、死なれたら迷惑だ。残り時間が3分になったら、声をかけよう。

言葉が通じれば、ひとりで風呂から上がるくらいのことはできるだろう。