件名:お仕事入りました
仕事メールの着信は嬉しくもあり、憂鬱でもある。そこに何がどう書かれているかにかかわらず。
本文:
- お名前:〇〇様
- お電話:184-090-0000-0000
- 待合時間:8/20 17:30
- 待合場所:●●駅南口セブン前
- ホテル:未定
- コース:ご新規様限定90分(おススメ割1,000利用)
- 総額:12,000円
- 落とし:5,000円
- 手取り:7,000円(交通費1,000円込み)
- 希望プレイ:イチャイチャ、即尺、指入れ
コースの長短や本指名であるかなしかによって程度は違うが、結局憂鬱なことに変わりはない。このメールの本数がその日の稼ぎの多寡を表すにしても。
希望プレイの欄を見て思わず舌打ちしそうになる。待ち合わせで即尺を希望する客にろくなのがいたためしがない。不潔なペニスをわざわざしゃぶらせることに快感を覚える変態達。
やっぱり可能オプションから即尺を削除しようか。でも即尺ができるかどうかで客付きは全然違うと、何度も店から言われている。暇になるのは困る。お茶を挽くくらいなら即尺の留意点を説明して嫌な顔をされるほうがまだマシだ。
歯磨きセットとウエトラを持って狭い待機室を出た。やる気はあるのだ。化粧や服で自分を飾るのは好きだし、客に笑顔を振りまくことになんの異論もないし、体を触りあうことにも(もちろんきちんとシャワーを浴びて乱暴なことをしないのであれば)抵抗はない。
だってそれをすればお金が手に入るのだ。うまくやれば会社に勤めていた時の何倍もの日給を持って帰れる。5キロの米と2キロの米を前にどっちを買おうか悩まずにすむし、滞納してる電気代も払える。新しい靴を買って、ヒールの剥がれかけたやつを捨てられる。それにつけても、わたしは憂鬱だった。
歯磨きを終えてうがいをし、マウスウォッシュで口を濯いだ。洗面所替わりの給湯室はうっすらとタバコ臭い。すぐ横にベニヤで仕切られただけの喫煙所があるからだ。空気清浄機は24時間フル稼働しており(わたしよりずっと勤勉だ)、今やほんの少しの気流を起こす程度の機能しか果たしていない。
不意に喫煙所のカーテンがめくれて、中から亜美さんが出てきた。
「おつかれさま」
「おつかれ。これから?」
「うん。新規90で待ち合わせ」
「マジで?どこ待ち合わせ?」
「●●駅」
「移動ダルいやつじゃん」
「ほんと、それな」
笑いながら亜美さんは給湯室に入ってマウスウォッシュでうがいをする。彼女は二か月前に入店してきて、新人期間が終わって以来ネットが鳴らなくて悩んでいた。
「しかも、待ち合わせなのに即尺」
「あー、めんどくさいやつ確定」
「なんでみんな、そんなに即尺好きかね」
「ていうか、もうオプション抜いちゃえばいいのに」
亜美さんは入店当時から即尺NGを通していた。別の店で即尺アリで働いていた頃、入店二週間で咽喉クラミジアと咽喉淋病をいっぺんにもらってしまい、大変な目に遭ったのだそうだ。
彼女のネットが鳴らない原因は色々あるだろうが、即尺NGもあるかもしれなかった。
「うーん…本指で即尺好きなひとがいるからどうにも…」
嘘だ。現時点で即尺を求める本指名客はいない。わたしが怖いのは暇になることだった。亜美さんのように、仕事に出かける誰かを見送って時間を過ごさなければならないことだった。お金を持って帰れないことだった。
たとえ洗っていない不潔なペニスを目の前に突き出されても、それを触ることはできないと説明して不愉快な顔をされることも、その場で回避できるそれらのことは、お茶を挽いて帰ることに比べればなんということもなかった。
「まあ、いいと思うけど。絶対洗いなよ。病気もらっちゃだめだよ」
「気を付ける」
亜美さんの口調はさばけていて、そして優しい。
わたしはまた憂鬱になる。彼女のように暇な思いをしたくないなどと考えた、自分の浅ましさと意地の悪さに。
待機室に戻り、鏡で化粧を確認する。仕事道具の入ったバッグを持って、電話番のスタッフにいってきますと声をかける。
「いってらっしゃい!よろしくお願いします!」
スタッフの快活な声が返される。
90分の労働で7,000円を得られる仕事がほかにあるのか、わたしは知らない。きっとあったとしても、わたしにはできない仕事だろう。知識とか、資格とかが必要だろう。
だからこれはありがたいことだ。何も持たないわたしが、同じように働く亜美さんに対して彼女みたいになりたくないなどと考えてしまうような、底意地の悪いわたしが、90分の労働で7,000円を得られることは、とても恵まれたことだ。
ヒールの剥がれかかった靴を履き、表に出る。
即尺について、客にどんな風に説明しよう。どうかキャンセルを食らいませんように。
祈るような気持ちで、駅までの道を歩き出す。
用語の説明
- キャスト:客に直接性接客を行う女性のこと
- 仕事のメール:客からの予約が入るとテンプレに沿ったメールが店から送られてくる それをもとに移動して客と合流し、接客をする
- 待合場所:デリヘルでは多くの場合、店の指定する場所で客とキャストが合流する 駅前のモニュメントや分かりやすいコンビニなどが多い
- 総額:客の支払う金額
- 落とし:総額の中から店に渡す金額 割合は店によって異なるが、基本が5割、本指名で4割ほどである
- 交通費:待ち合わせ場所に移動するための移動費 客の支払う総額に上乗せされ、店から遠くなるごとに金額は上がっていく
- イチャイチャ:風俗のプレイのひとつ 恋人同士のようにふるまうこと
- 即尺:風俗のプレイのひとつ ホテル等で部屋に入ってすぐ、シャワーで洗う前にフェラチオすること 店舗によって定義は異なるが、筆者の勤めた経験では「一切の洗浄をせずに行う」場合と、「前もってホテルに入室して、自らシャワーを浴びてガウン等清潔な衣類のみを身に着けて待っていた客にのみ行う」場合の2パターンがあった 即尺を求める客の半数以上は前者のパターンのみを即尺と思い込んでおり、説明を受けてもシャワーを浴びるのを嫌がる この話は後者のパターンである
- 指入れ:風俗の基本プレイのひとつ キャストの膣に客の指を入れていじるプレイ
- 本指名:一度接客を受けた客が再度そのキャストを指定して利用すること 客の支払う総額には本指名料が上乗せされ、上乗せされた指名料はキャストの取り分となる 本指(ほんし)、指名(しめい)などと略される
- オプション:基本プレイに付け足す 無料と有料があり、バイブやローターなど道具を使用する場合は有料であることが多い 店舗によるが、現在即尺は無料である場合が多い 有料オプション代は全額キャストの取り分になる場合と、店側との折半になる場合がある
- お茶を挽く:一本も客がつかずに一日が終わること キャストに給料は払われない
- 待機室:待機所内にある個室 ネットカフェの個室をさらに狭くしたようなものが多い 広い空間を壁板で仕切り、畳を縦に一枚半~二枚並べた程度の広さ テレビや消臭剤などが置かれている場合もある
- ウエトラ:ウエットトラスト 膣に直接注入する潤滑ゼリー 使用することで濡れている(気持ちよくなっている)ように装える 指入れの際に摩擦を軽減し、怪我を防止する(が、乱暴な客には当然無力である)
- ネットが鳴る:デリヘルの主な広告媒体は自前のHPと外部の風俗紹介サイトであり、ネット上で宣材写真を見た客からの「〇〇というサイトで△△ちゃんの写真を見た。彼女を指名したい」という問い合わせがあった場合、これはネット指名、写真指名などと呼ばれる 指名料の取り分は発生しない場合が多いが、問い合わせが多いキャストは店側にとって取り扱いやすいのでネットの目立つ位置に写真を置かれる場合が多く、キャストの仕事にもつながりやすい ネット問い合わせが多い状況をネットが鳴ると表現する
- 咽頭クラミジア・咽頭淋病:性感染症の一種
- 電話番:店舗スタッフ、内勤などと呼ばれる 客からの問い合わせや予約に対応する
※用語はデリヘルのもの。複数店舗で勤務してきた筆者の体験に基づいて理解および使用しています。店や地域によって意味が違う場合があります。
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このブログについて
2009年12月
ジェームズ・キャメロンのアバターという映画が日本で公開されたのは、2009年の暮れことだ。
3Dメガネで映画を鑑賞をしたのはこの作品が初めてだった。有楽町の映画館でのことだ。
仕事で知り合った男とのはじめてのデートだった。
映画はとても面白かった。撃墜されたヘリコプターが墜落してくるシーンは大迫力で、劇場の椅子の上で身を竦めてしまったことを憶えている。
映画の後何を食べたか、どんな話をしたかはちっとも憶えていない。
男の知り合いがやっているというバーに行ってハイボールを飲んだところで、わたしの記憶は一旦途切れる。
次に気が付いた時にはうなされていた。痛いと呻いていた。
目を開けると、裸で仰向けになったわたしの上に、同じく裸になった男がのしかかっていた。
抵抗したのかどうかも、記憶が曖昧だ。
ただ、気に入っていた服が全部丸めて部屋の端に投げ捨てられていて、それがとても気になった。
事が終わって、したたかに酔っていたわたしはトイレに駆け込んで嘔吐した後また眠ったらしく、次に意識がはっきりした時、男はとっくに身支度をすませていた。
「タバコ買ってくるから。帰りたかったら帰って」
男を見送り、しばらくベッドに寝転んでから、服を着てひとりでホテルを出た。服はやっぱり、シワになっていた。
あれがどこのホテルだったのか、一体どうやってどこの駅まで歩いたのか、どうやって帰ったのか、全然思い出せない。帰り道の端には掃き寄せられた雪が汚らしく溜まっていて、空が抜けるように青かったことだけはよく憶えている。
この虫食い状の記憶を、わたしは忘れていなかった。ちゃんと自身のエピソードとして把握していた。
アバターのDVDをレンタルするたび、そういえば初めて観たのは映画館だったよな、あの後あんなことするつもりじゃなかったのに、変なことになったんだよなあ、と、思い出しさえしていた。おかしな話だけど、憶えていたのに、理解できていなかったのだ。
2019年8月
一年前、わたしの人生にフェミニズムがやってきた。
伊藤詩織さんの事件を知り、あの日自分の身に起きたことがレイプだったのだと、忽然と理解した。
――2018年になっていた。
理解して、わたしの世界は一変した。起きたことは変わらないのに。
思い出すと、奇声を上げて暴れ出しそうになる。
今すぐ男を探し出して、この手で殴り殺してやりたい。
今すぐ高いところから飛び降りて死んでやりたい。
それを堪えて、これを書いている。
わたしの人生にはまだまだたくさんそういったことがある。
なんだか理解できないままに、とにかく、なんとか、ようよう、乗り越えて、忘れたり知らないふりをしていたことが。
それらがなんだったのかどうして起きたのか、知りたいと思った。
忘れたままにしたくないと思った。
多分、この世にはそうして忘れたり知らないふりをしたりして、なかったことになってしまった痛みや苦しみが無数にあったはずだから。
黙っていてやるなんて、もうまっぴらなのだ。
ずっと苦しかった。
女性として生きることは悔しく、悲しく、むなしいことの連続だった。
自分を責めることの繰り返しだった。
自分のことをちっとも好きになれなかった。
フェミニズムを知ったばかりの頃、こんなにも堅固な性差別が社会に深く根付いていて、この先どうやって生きていけばいいんだろうと絶望した。
今は少し違う。
フェミニズムはわたしに「あなたは悪くない」と言ってくれた。
悪いのは酩酊し前後不覚になったあなたに暴力を働いた男であって、あなたは何も悪くはないのだ。だから自分を責めたりしなくていい。と。
わたしは同じことを自分に言い続けていきたい。それはひとえに同じような辛い目に遭ったひとの希望になることにもなると思うからだ。
*
クソ客のいる生活#001
「ねえ、入れていい?」
男の顔は弛緩していて、それでいておねだりが成功するかどうかの緊張感で、奇妙に歪んでいる。
「なんで?」
「だって…入れたいから。●ちゃんも、濡れてるし。入れたら気持ちいいよ?」
彼らの返答は、どれもこれも似通っている。
わたしはフェラチオを中断し、愛想笑いを維持して答えた。
「わたしは別に入れたくないかな」
言いながら、ローションのボトルを手に取る。
「なんで?いいじゃん。だめ?だめ?」
男は片手でわたしの手首を掴み、もう片方の手でわたしの陰部を探る。
「ほら、濡れてるじゃん。入れてもいいでしょ?一緒に気持ち良くなろう?」
それは膣に仕込んだ潤滑ゼリーだ。それに、実際に刺激によって分泌される体液だったとして、それが一体なんだというのだろう。
「あのさ、」
掴まれた手首が痛い。強引に指を差し込まれた膣も。
「店のルール破って好きでもない相手とセックスして、わたしになんかメリットある?」
それまで顔いっぱいに貼り付けていた微笑みを振り捨てて、真正面から男の顔を見据えた。
真昼の安ラブホテルの一室で、巨大なテレビ画面には部屋に入った時から途切れることなくアダルトビデオが流され続けている。
中年の男はだらしなく太った腹と水虫の足裏をクーラーの風に晒していて、昼食にうどんを食べてきたというしょうがとねぎの臭いがするキスは、吐き気がするほど不快だった。
いまだ期待を捨てきれないのか、男はニヤニヤ笑っている。わたしの膣に指を突っ込んで、時々思わせぶりに動かしながら。
やがて沈黙に耐えられなくなったらしく、わたしの顔から目を逸らし、潤滑ゼリーが乾き始めた膣から指を引き抜いた。
「じゃあ…素股してもらっていい?」
「ごめんね、本強してきたひとには素股できないから」
仰向けに寝転んだ男が大きなため息を吐いた。まるで不当な扱いを受けて、それを我慢してやってるとでもいわんばかりの不満顔で。
ローションを手に取り、萎え始めたペニスになすりつける。
ほんの数分前まで「どこでそんなエッチな手つき覚えたの?すぐいっちゃいそうだよ」と大絶賛を受けていた手技を使いながら、わたしは次に男が言うセリフを予想していた。
やがてすっかり萎えきった男が寝返りを打ちながら言う。
「今日もういいや。シャワーしてきていいよ」
予想した通りに繰り出された滑稽な台詞に、
「はあい」
と、可愛い声で返事をして、さっさと立ち上がった。
男はローションでベタベタのままベッドの端に腰掛けて、タバコを吸い始める。
理不尽だ。本番できると思ったのに。せっかく高い金を払ったのに。デリヘル嬢は、おれを気持ち良くさせるのが仕事なのに。
俯いた男の肩から、無言の恨み節が聞こえてくる。
その様子はどこまでも滑稽だったので、わたしは笑わないように注意しなければならなかった。
薄暗い密室の中で、男が次に取る行動が暴力でない保証は、どこにもないのだから。
ああ、早くアラームが鳴りますように。
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